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考えるヒント (2) (文春文庫) 文庫 – 1975/6/25
小林 秀雄
(著)
忠臣蔵ⅠⅡ、学問、徂徠、弁名、考えるという事、ヒューマニズム還暦、天という言葉、哲学、天命を知るとは、歴史の十二篇に「常識について」を併載して、考えることの愉悦をおしえる。
- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1975/6/25
- ISBN-104167107023
- ISBN-13978-4167107024
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1975/6/25)
- 発売日 : 1975/6/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 205ページ
- ISBN-10 : 4167107023
- ISBN-13 : 978-4167107024
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,617,327位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,704位文春文庫
- - 140,162位ビジネス・経済 (本)
- - 388,344位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1902‐1983。東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。戦中は「無常という事」以 下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。’67年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(’77年刊)で日 本文学大賞受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間の建設 (ISBN-13: 978-4101007083)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
イメージ付きのレビュー
5 星
表紙の色はライムグリーンであって欲しかった。
かつての文庫版の表紙はライムグリーンだったので、出来れば変更してもらいたいものです。1と2が同じ色なんて。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全部が全部おもしろいとは思いませんが、はっとしたり、感銘を受けたりする文章がところどころにあります。そういう読み方で読んでしまって良いと思います。
この巻では、デカルトの読みの部分に大変感銘を受けました。さらにデカルトと伊藤仁斎の論語読解を接続するのは大変見事でした。
自分の素直な直感や常識、そしてその働かせ方を大事にしようと思わせてもらいました。
この巻では、デカルトの読みの部分に大変感銘を受けました。さらにデカルトと伊藤仁斎の論語読解を接続するのは大変見事でした。
自分の素直な直感や常識、そしてその働かせ方を大事にしようと思わせてもらいました。
2021年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若い頃は、試験でお目にかかる以外、全編通して読んだ記憶がありません。でも、こうして歳月を経て読む機会を得て読んで見ますと、小林秀雄氏の批評家としての揺るぎなさを感得致します。何を言及しても、必ずすでに考察済みの文献があり、検討の結果があっていちいちもっともで頷くしなない、堅牢な意見に出会います。20世紀が過ぎて、もう、こう言う批評家は現れる事が出来ないでしょうね。
2012年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本が生みし至高の文士・小林秀雄さんが、純粋であり透徹した思想家達の思想の本質を論じた1961年〜1964年の深遠なるエッセイ。
江戸期の天才思想家(伊藤仁斎、荻生徂徠)や西洋の偉人(フロイト、デカルト)の思想の本質を鋭く浮き彫りにし、論じた言葉が、所謂スピリチュアルな話もされる船井幸雄さん、大下伸悦さん、川島伸介さん達の言葉と重なることに真理というものの存在を感じることができました。
以下の抜粋に心惹かれた方は、ぜひ本書をご自身でお読みになり、更に、引用されている思想家達の原著を紐解かれては如何でしょうか。
〜文中より抜粋〜
・精神の歴史には、無意識の連続性がある事は、心理学の常識である。武士道とは、武士が自らの思い出を賭した平和時の新しい発明品なのであって、戦国の遺物ではない。
・読書するとは、知識の収集ではなく、いかに生くべきかを工夫する事であった。信頼する人間と交わる楽しみであった。
・孔子は智を好むと言ったことはない。ただ先王の遺した確かな行動の跡を好み、これに遵(したが)ったまでだ。
・理を言い、智を喜ぶより、生きる方が根底的な事だ、知るより行うのが先である。
・今日の学問では、人情を解せず、人倫を弁(わきま)えなくても、学問の正しい道は歩けるのである。
・言葉を静観すれば、言葉は、人々の思惑ではどうにもならぬ独立の生を営んでいるものである事を知るであろう。
・考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。
・一芸に通達した者は、自ら万時に就いて、その本質的なものを掴むと言っていい。
・過去とは思い出すという事だし、現在とは行動している事だし、未来とは願望し選択する事だ。
・学問とは人生の意味と価値とについての学問である。
・孔子の「我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」とは、天が、「道ヲ伝フルノ任」を命じたと知ったということ。孔子は理想に襲われたのであって、孔子が天を知ったのではない。
・知らざるを知らずとする為には、どれほどの知力が必要であったか。
・人間の知恵の出現は、突然であるより他はない。太初に言葉あり、という古言も、そのまま素直に容認して置くに越したことはない。素直に容認すればこそ、太初に或る分子構造があったという発想が、歴史的産物であることも亦素直に容認出来るのだ。
・過去は現在に生きている。
・誰にでも自然に備わっている基本的な知恵の種子を、どこまでも育てる事は可能だ。
・確信というものには、言葉を超えるものがある。
・思うとは意識的に生きること。
・自然の光、或いは知恵は、どこまでその根源にさかのぼってみても、人間的な具体的な内容を失わないもの。これを栽培しなければならぬ。
・堂々と構えた既成の知識の建物を、みんな壊して、全く自然で単純な明瞭判然たる判断に基づく建物を、自分の手で設計し、建築しなければならない。
・詩人が、自分の使用する言葉について、詩的直観しか要求していないように、追い詰められたデカルトは、その哲学的諸原理について、形而上学的直感しか要求していない。
・デカルトのメディタシオンは、「私達は、私達の本性の弱さを承認しなければならない」という文句で終わります。本性の弱さは完全だと言うのです。彼は、これを選び、これを信じたと言っていいでしょう。それなら、全知の神を選び、これを信じたのは当然だろう。
・「哲学の全体は一本の樹で、その根は形而上学、幹は物理学、幹から出る枝は、他の諸学全部。一番貴重な実が、諸学の成果たる高い意味での道徳である事は、言をまたぬ」とデカルトは言う。
江戸期の天才思想家(伊藤仁斎、荻生徂徠)や西洋の偉人(フロイト、デカルト)の思想の本質を鋭く浮き彫りにし、論じた言葉が、所謂スピリチュアルな話もされる船井幸雄さん、大下伸悦さん、川島伸介さん達の言葉と重なることに真理というものの存在を感じることができました。
以下の抜粋に心惹かれた方は、ぜひ本書をご自身でお読みになり、更に、引用されている思想家達の原著を紐解かれては如何でしょうか。
〜文中より抜粋〜
・精神の歴史には、無意識の連続性がある事は、心理学の常識である。武士道とは、武士が自らの思い出を賭した平和時の新しい発明品なのであって、戦国の遺物ではない。
・読書するとは、知識の収集ではなく、いかに生くべきかを工夫する事であった。信頼する人間と交わる楽しみであった。
・孔子は智を好むと言ったことはない。ただ先王の遺した確かな行動の跡を好み、これに遵(したが)ったまでだ。
・理を言い、智を喜ぶより、生きる方が根底的な事だ、知るより行うのが先である。
・今日の学問では、人情を解せず、人倫を弁(わきま)えなくても、学問の正しい道は歩けるのである。
・言葉を静観すれば、言葉は、人々の思惑ではどうにもならぬ独立の生を営んでいるものである事を知るであろう。
・考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。
・一芸に通達した者は、自ら万時に就いて、その本質的なものを掴むと言っていい。
・過去とは思い出すという事だし、現在とは行動している事だし、未来とは願望し選択する事だ。
・学問とは人生の意味と価値とについての学問である。
・孔子の「我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」とは、天が、「道ヲ伝フルノ任」を命じたと知ったということ。孔子は理想に襲われたのであって、孔子が天を知ったのではない。
・知らざるを知らずとする為には、どれほどの知力が必要であったか。
・人間の知恵の出現は、突然であるより他はない。太初に言葉あり、という古言も、そのまま素直に容認して置くに越したことはない。素直に容認すればこそ、太初に或る分子構造があったという発想が、歴史的産物であることも亦素直に容認出来るのだ。
・過去は現在に生きている。
・誰にでも自然に備わっている基本的な知恵の種子を、どこまでも育てる事は可能だ。
・確信というものには、言葉を超えるものがある。
・思うとは意識的に生きること。
・自然の光、或いは知恵は、どこまでその根源にさかのぼってみても、人間的な具体的な内容を失わないもの。これを栽培しなければならぬ。
・堂々と構えた既成の知識の建物を、みんな壊して、全く自然で単純な明瞭判然たる判断に基づく建物を、自分の手で設計し、建築しなければならない。
・詩人が、自分の使用する言葉について、詩的直観しか要求していないように、追い詰められたデカルトは、その哲学的諸原理について、形而上学的直感しか要求していない。
・デカルトのメディタシオンは、「私達は、私達の本性の弱さを承認しなければならない」という文句で終わります。本性の弱さは完全だと言うのです。彼は、これを選び、これを信じたと言っていいでしょう。それなら、全知の神を選び、これを信じたのは当然だろう。
・「哲学の全体は一本の樹で、その根は形而上学、幹は物理学、幹から出る枝は、他の諸学全部。一番貴重な実が、諸学の成果たる高い意味での道徳である事は、言をまたぬ」とデカルトは言う。
2019年7月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
40年くらい前は小林秀雄の随筆は入試問題の定番だった。しかし、いつも言いたいことが良くわからず、テクニックだけで解いていた。ふと、Amazonでこの巻だけが半額以下だったので買ってみた。定価だったら買わなかっただろう。単に、なぜ、何が、よくわからなかったかの確認のためだからだ。
一読してその点は解消した。作者の随筆の書き方に問題があるのだ。最初にテーマを書き、途中はただ衒学的に自分の専門の範囲で物事や事件を解釈しようとして、短文を並べ、最後の一ページになってあわてて取って付けたようにまとめようとしている。しかもまとめそこなって結局、次回に続くとなってしまう。
間の部分は何か文明批評のようだが、どの段落も実際には古典の一部を中途半端に解釈して無理やりこじつけているに過ぎない。ただ、文章の流れが独特で何となく高尚な思考をしているような錯覚を憶えさせる。実際、本人も筆の進むまま書いているというとおりなのだ。
このレベルの内容では忘れ去られるのも無理はない。ただ、今の文学との類似点はある。文章の流れで読者を何となく高尚な思考をしているように錯覚させるテクニックだ。衒学的なものでしかないが娯楽としては成立している。ラノベ作家の中にはこうした過去の作品からヒントを得ている人もいるのだろう。
ただ、考えるヒントはここにはない。
一読してその点は解消した。作者の随筆の書き方に問題があるのだ。最初にテーマを書き、途中はただ衒学的に自分の専門の範囲で物事や事件を解釈しようとして、短文を並べ、最後の一ページになってあわてて取って付けたようにまとめようとしている。しかもまとめそこなって結局、次回に続くとなってしまう。
間の部分は何か文明批評のようだが、どの段落も実際には古典の一部を中途半端に解釈して無理やりこじつけているに過ぎない。ただ、文章の流れが独特で何となく高尚な思考をしているような錯覚を憶えさせる。実際、本人も筆の進むまま書いているというとおりなのだ。
このレベルの内容では忘れ去られるのも無理はない。ただ、今の文学との類似点はある。文章の流れで読者を何となく高尚な思考をしているように錯覚させるテクニックだ。衒学的なものでしかないが娯楽としては成立している。ラノベ作家の中にはこうした過去の作品からヒントを得ている人もいるのだろう。
ただ、考えるヒントはここにはない。
2018年5月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とにかく読み切ることが大切と思います。すこし大人になりました。